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古備前鑑定書の決定版

古陶磁鑑定美術館の研究成果をまとめた、渾身の一冊!

古備前焼の年代鑑定、古陶磁鑑定美術館、史上初の桃山時代の古備前焼建水を発見!

書籍「古備前焼の年代鑑定」とは?

古備前研究の集大成

「古備前焼の年代鑑定」は、これまで明らかにされてこなかった、「古備前焼の謎」を解明し、考古学的、歴史学的に整合性のある年代鑑定の方法を確立した、研究書です。

これまで明らかにされてこなかった「古備前焼の謎」とは、一体何なのでしょうか?

その答えは「あらすじ」をお読みください!

古備前焼の年代鑑定、古陶磁鑑定美術館、史上初の桃山時代の古備前焼建水を発見!
桃山建水 備前桃山建水 古備前建水 古備前桃山建水 古備前水こぼし 桃山備前 古備前桃山時代 桃山時代備前焼 桃山時代備前建水.png

歴史的名品を発見

安土・桃山時代の古備前焼は、豊臣秀吉や明智光秀や千利休が愛用するほど、メジャーな焼き物でした。その頃の備前焼茶陶と言えば「建水」です。

古備前焼の年代鑑定では、これまで未発見と言われていた安土桃山時代の古備前建水の特定に成功しました。その歴史的名品を、出版記念展で公開しています。

不都合な美術史の真実を暴く

近年、考古学的発見や、歴史的研究が進展し、古備前焼や古陶磁器にまつわる『常識』が変わりつつあります。

旧態依然の権威主義の時代から、事実に則した実物主義の時代へと変遷している過渡期と言えるでしょう。古備前焼の年代鑑定は、まさに、そんな古備前焼の歴史に新たな一歩を刻む名著です。

古備前平水指 古備前平建水 古備前広口平水指 古備前広口平建水 古備前鑑定委員会鑑定書 古備前鑑定委員会 古備前鑑定 古陶磁鑑定美術館 古備前の年代鑑定 古備前焼の年代鑑.png

古備前焼の年代鑑定 目次紹介

目次

はじめに 館長指令「幻の桃山茶陶を発見せよ!」

1章 桃山茶陶と備前焼の年代鑑定の現状と課題

2章 茶会記に残る備前焼の姿とは?記録をデータ化して徹底解析!

3章 茶会記と、出土品・伝来品とを比較して時代を検証する

4章 伝世品の年代判別のための「時代区分基準」

5章 角徳利(保命酒徳利)特集解説

6章 重要文化財級の古備前を手に入れよう!歴史的名品は世に眠っている!

7章 視覚で分かる年代鑑定マップ!

8章 古備前焼の鑑賞 窯印と陶工


主要参考文献

カラー図説 時代年代別 古備前焼伝世品図録2021 窯印解説付

茶の湯と茶会記(古備前焼きの鑑定は古陶磁鑑定美術館)

歴史の事実検証①茶会記

茶会記には、戦国時代の茶の湯の実態が残されている

安土桃山時代(戦国時代)の茶の湯の実態を現在まで伝える資料があります。それが、「茶会記」です。当時の著名な茶会記には、津田宗及一家の茶会記「天王寺屋会記」、奈良の松屋家が記した最古の茶会記「松屋会記」、神谷宗湛の「宗湛日記」などがあります。古備前焼の年代鑑定では、それらの「茶会記」に登場する備前焼に注目して、分析を行いました。それによって、桃山時代の茶会で実際に使われた古備前焼の茶道具の姿形を明らかにしたのです。

歴史の事実検証②出土品

出土品は、時代を超えて過去の「真実」を伝える

近年、安土桃山時代から江戸時代にかけての出土品が各地から出土しています。特に、京都や大阪から出土した時代資料は、当時の生活や文化圏に直結したもので、焼き物の年代を鑑定するのに非常に重宝されています。それらの資料を調べることで、古陶磁鑑定美術館では、科学的に観て適切な、古備前焼の年代鑑定方法の確立に成功しました。書籍では、その事実を余すことなく公開しています。

古備前種壺 古備前壺 古備前波状文壺 古備前窯印壺.png
古伊部耳付花入 古備前耳付花入 古備前花入 古伊部花入 古備前花生 古伊部花生 古備前鑑定委員会 古備前鑑定委員会鑑定書 古備前鑑定 古陶磁鑑定美術館 古備前焼の年代鑑定.png

歴史の事実検証③伝来品

正しい年代鑑定の視点で見る、「本物」の名品とは?

当時の一時記録(資料)と、出土品を分析することで、現存する「伝来品」「伝世品」の年代を正しく鑑定できるようになります。実際に作られた年代や時代背景、そして文化を正しく理解して、その時代を鑑みながら、品物を通じて憧憬に浸る。それこそ、真の数寄者の醍醐味と言えるでしょう。そんな、新しい古美術品との付き合い方を、古備前焼の年代鑑定では、提唱しています。

古備前焼の年代鑑定 あらすじ紹介

【古備前焼の年代鑑定 古陶磁鑑定美術館叢書 あらすじ】

 
館長指令「幻の桃山茶陶を発見せよ!」

戦国の世は、安土・桃山時代。豊臣秀吉、明智光秀、千利休、古田織部、今井宗久、津田宗及、山上宗二、荒木村重、織田有楽斎、黒田如水、筒井順慶、小堀遠州、金森宗和らの名だたる大名や茶人たちが、挙って愛用した茶道具があった。 

「備前焼」である。

当時の茶会記には、備前焼が長年に渡って使われた記録が残っているが、特に織田信長と豊臣秀吉が活躍した天正年間(1573年~1592年)は、「建水」という品目で、圧倒的シェアナンバーワンの人気を誇っていた。

例えば、本能寺の変の前年に、明智光秀が茶会で使った建水は備前焼だし、本能寺の変の後、明智光秀を倒した豊臣秀吉が、山崎の地で開いた茶会で使用した建水も備前焼だ。

まさに古備前建水は、桃山時代の国産茶陶の筆頭格と言える存在だったのだ。

だが実は、桃山時代の備前建水は、公式的には伝来品が未だ見つかっておらず、真の姿形は謎のままというから驚きである。

なぜなら、現代の世の中には、「桃山茶陶」と称される備前焼が、たくさん伝来しているからだ。博物館や美術館、更に図録などを合わせれば、それこそ数百点を超える「備前桃山茶陶」が現存しているのではないだろうか。


それなのに、なぜその中でも代表的存在の「建水」が見つかっていないのだろうか。その答えを探ってみると、近年の発掘調査によって、ある「衝撃の事実」が判明していたのだ。

それはなんと、今まで江戸時代の作品を「桃山茶陶」と間違えてしまっていた、と言うのである。その結果、従来までの年代鑑定の認識が、近年になって大幅修正される事態になってしまったのだ。

つまり、これまで「桃山時代の茶陶」と崇められ、憧れの的となっていた国焼茶陶のほとんどが、実は豊臣秀吉の死後で、関ヶ原の合戦後で、江戸幕府の成立以降に作られた「江戸初期の茶陶」だったのだ。


そして、本当の桃山茶陶は、冒頭の通り、霧に包まれた「幻の存在」となってしまった。

その衝撃たるや、天地がひっくり返るレベルのインパクトである。


なんせ、「桃山茶陶」の筈なのに、信長も、秀吉も、利休も居ない、『江戸時代』の作品なのだから。それでは、当時を生きた彼らが桃山茶陶なんて使っていなくて当たり前だし、使えるはずがない。

ただの茶番だったのだ。

この問題からは、博物館や美術館に収まっている名品ですら、逃れられないだろう。下手をすれば、陳列品の全てが「江戸時代の作品」になってしまう館もあるのではないか。

しかし、美術史や文化史だけが、この歴然とした事実を見て見ぬ降りをしても、もはやネットワークが発達し、情報が行き渡ってしまった現代では通用しないのだ。

当然、古美術業界にもこの影響は波及している。憧れの桃山茶陶だと信じて、大金を叩いた蒐集家にとっては痛恨の極みである。よりによって相場の高い品だけに、そのショックは計り知れない。

しかし一方で、それが古美術・骨董の本当の面白さでもあるのだ。これらの新事実によって、また新しいロマンやチャンスが生まれてくるからだ。

そう、と言うことは、これまで蔑ろにされてきた伝世品の中に、「本当の桃山茶陶」が隠れ潜んでいるのだ。

これぞまさしく、乱世の戦国時代が、現代に残してくれた『下剋上』のチャンスであろう。

信長・秀吉が、天下統一を目指して国中を駆け巡り、千利休が、侘び茶を完成させた安土・桃山時代。彼らは、一体どんな備前焼を使って、茶の湯に興じていたのだろうか。その答えが見つかっていないのならば、ぜひ当美術館で探ってみたいと思う。またそれに伴い、古備前焼の時代区分を整理整頓し、本当に正しい年代鑑定を明らかにしたい。

『幻の桃山茶陶を発見せよ!』

まもなく、館長指令が発令されたのは言うまでもない。

当美術館の使命は、「ワクワクを追い求める美術館」だ。人間は、未知なるものほど知りたくなる。その欲求に素直に、そして真摯に向かい合う人生こそが素晴らしい。

私たちの数寄心が、読者のみなさんにとって、一興と一助になれば幸いである。

令和3年初夏  古陶磁鑑定美術館 館長 (「古備前焼の年代鑑定」あらすじより)

古備前焼の年代鑑定、古陶磁鑑定美術館、史上初の桃山時代の古備前焼建水を発見!
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