「江戸前期~中期」の古備前ギャラリー
「寛永文化~元禄文化」の優雅な時代
名品No.8 透し彫り 花籠 匣鉢
時代:江戸前期 窯印:高台に有り
織部様式が流行した慶長期の後は、古田織部の弟子の小堀遠州らが主導した、「きれいさび」と称される優雅な風潮が流行しました。
備前焼は、無骨な素朴さが売りの焼き物ですが、この時代の流行に合わせて、「伊部手」という技法を開発します。
伊部手は、器表に鉄分の多い化粧土を塗り土する技術で、釉薬的効果を狙った意匠性です。
この美しい姿だけでも、前の時代との違いが大きく感じられます。
切れ味の鋭さが、技巧の高さを物語る
現代技術でも、困難を極める程の超絶技巧
スパッ、スパッっと、まるでチーズでも切るかのように粘土を切り抜き、花籠型に成型しています。
一見すると、さほど難しくなさそうなこの技術は、現代においても信じられない程高いレベルの技巧です。
それが、江戸前期の寛永年間頃(1624-1645年)に作られているのですから、当時の陶工の技術の高さには驚愕せざるを得ません。
大名、将軍家、公家などに献上される品として、あらゆる限りの技巧を駆使して、このような名品を仕上げたのでしょう。
「高台」にまで行き届く、配慮と誇り
「太」の窯印が主張する「名品の条件」
江戸初期から前期になると、高台を丁寧に磨いて平らに調整するようになります。
この作品は、高台まで箆目文様を施し、さらにその中央に「太」という窯印を、堂々と彫刻しています。
この「太」という窯印は、慶長末~元和・寛永頃の名品に見られる窯印です。
当時のトップレベルの技巧を持った作者による、渾身の作品なのでしょう。
高台を見るだけでも、時代や流行の変化から、名品かどうかまで、分かってしまうのです。
存在感、品格、希少性、全てで一級の品
この世で、たった一つだけの伝世品
この花籠と同じ姿形をした作品は、おそらく、他には存在しないでしょう。
なぜなら、この作品は、特別な注文によって作られた「唯一の一点物」だからです。
当時の茶の湯は、庶民や平民の趣味ではなく、大名や武家や公家など、上流階級の嗜みです。
そのため、それらの裕福な数寄者たちが、私財を投入して自分だけの特注品を作らせたのです。
だからこそ、質の高い、ただ一つの名品が、数多く生まれた時代なのです。
四方八方、どこから見ても景色になる
名品は無言で語る、いや、無言でも分かってしまう
どの角度から、どのように眺めても、またどのような用途に使っても、名品は、常に名品であり続けます。
なぜなら、それらの全てで、「美しさ」を感じてしまうからです。
美しさとは実に儚いもので、他の名品と並べてしてしまうと、霞んでしまう幻の美も存在します。
そんな中でこの作品が放つ「美意識」は、他を圧倒する存在感を有しています。
「匣鉢」として使われた痕の意味
窯道具も兼ねて何度も焼かれた、炎の傑作
この器が特に珍しいのは、窯道具の「匣鉢」として使われた形跡が確認できる点です。
匣鉢とは、他の作品を中に入れて焼く、所謂「サヤ」のことです。
この器の見込み部分には、四つの足跡が残っています。
おそらくここに、細工物の獅子や四つ足の皿などの小型の作品を置いて、窯焚きをしたのでしょう。
このような作は他に類品がないので、希少品としても価値のある逸品です。
名品No.9 耳付花入 片身代わり 宋胡録写
時代:江戸前期(寛永頃) 窯印:なし
寛永期に流行した「きれいさび」を主導した、小堀遠州の指導によって始まったのが、「伊部手」と言われています。
寛永期頃の初期の伊部手は、「黒紫色」に焼けた土肌と、明るい黄色に輝く「黄胡麻」、それと「端正で優雅な姿形」が特徴です。
この作品は、その全てを有する銘品で、唐物(宋胡録)の小壺を模した花入です。
胡麻が片身替わりの景色となって、美しいコントラストの景色となっています。
片身替わりの流行は、桃山時代から江戸時代初期にかけて、大変好まれたデザインです。
「塗り土」の開発 備前焼の改革期
豪快さを捨てたのか、否、雅な作にも対応できただけ
1616年の元和二年に国内初の磁器が鍋島藩(有田)で誕生してから、日本の陶磁の流行は、一気に磁器ブームに偏っていきました。
その隆盛は凄まじく、それまでの流行だった「唐物、美濃、伊賀、唐津、備前、高取」などのシェアを奪ってしまったのです。
美濃や伊賀などの、桃山陶を代表するような窯が、その技術革新に対応できずに閉鎖してしまう中で、備前焼は「伊部手」に活路を見出しました。
それは、迎合なのでしょうか。否、決してそうではありません。
備前焼は、磁器ブームにも対応し得る「進化」を遂げたのです。
「高台」に残る、古伊部手の特徴
初期伊部手の高台には、「風格」が宿る
伊部手の中でも、寛永年間(1624-1650年)頃の初期の作品には、特徴的な高台の成型痕があります。
それが、刷毛目の塗り痕です。
この塗り土が、古味の黒紫や紫蘇色の焼け肌となるのでしょう。
線状、または円を描くような塗り跡が高台に残っている塗り土の作品は、概ねこの頃に作られた作品と推測できます。
格の高さは、質の高さ
伊部手は、大名茶陶が始まり
備前のような伝統があれば、流行の変化に合わせて、こんなにも素晴らしい名品が、すぐに作れてしまうのでしょうか。
その答えは、もちろん「否」となります。
当時の陶磁器は、産地が違うのに、同手の作品や類似品がしばしばあります。例えば、唐津と美濃や、備前と高取のように。これらが意味することは、同一の陶工や作者が、各窯場に作品を依頼したか、または直接赴いて作品を作ったかが考えられます。
そして、それらの頂点にいたのが、小堀遠州等の大名茶人や、堺や京都三条の豪商だったのでしょう。
つまり、その当時のトップレベルの技巧、技術を駆使して、漸くこのような最高級の名品が生み出されたのです。
「雅」な寛永文化の幕開けを代表する逸品
宮廷、書院風の高貴な文化に昇華した備前焼
「桃山茶陶」の時代の備前焼は、素朴な「侘び」の景色が、好まれました。
一方、江戸時代は寛永文化での「伊部手」では、雅を含んだ「寂び」の景色が求められました。
漆黒の地肌の上で、黄金に輝く優雅な胡麻のコントラストは、まさに「きれいさび中のきれいさび」と言って過言ではない名品です。
この伊部手によって、備前焼は、草の格だけでなく、行や真の格にまで昇華したのです。
ぎこちなさが残る端正さこそ、奥深い
時代が下る程、精巧になるが、味わいが落ちるジレンマ
江戸時代の伊部手の技巧は、寛永文化に生まれ、元禄文化で成熟し、化政文化で消えていきます。
つまり、技巧面では、元禄文化をピークに轆轤成型技術が発達し、細口花入などの、精密で瀟洒な作品が作られるようになりました。
しかし、その味わいは、初期の作ほど、奥行きのある深みが感じられるでしょう。
芸術は、文化の創成期、その最初期の作品ほど、創造性が高く、力強く、そして生き生きとしているのです。
名品No.10 共蓋付 手付水次
時代:江戸前期 窯印:高台に有り
手付きの水次は、慶長から寛永期の伝来品がよく残っています。
その頃にかけて流行していた作風なのでしょう。
この手は、いわゆる初期伊部手と呼ばれる焼け肌です。
共蓋が松ぼっくりを模して作られており、意匠性が凝っています。
手の部分が割れてしまい、漆と銀継ぎで修復されていますが、それがまた時代の味を備えており、寂れた景色を演出しています。
実に見事な名品と言える品です。
花入にも見立てられる優雅さ
細工物の創成期を彷彿とさせる、技巧の芽
細工物は、元和~寛永以降に作られ始めたと考えられています。
その最初期の作品は、透かし彫りや、香合や香炉などの比較的単純な造形から始められたのでしょう。
この作品には、蓋の造形と、肩の彫刻にその面影を見ることができます。
これらの造形は、時を超えて現代となった今では、立派な「景色」として鑑賞の美に供されます。
花入に応用できそうな逸品です。
「扇」は、日本の伝統
窯印が繋いだ、伝統のデザイン
「扇」は、古来より伝わる日本のデザインの中でも、最も著名な図の一つではないでしょうか。
扇は、シンプルながらも、洗練された優雅さを備え持つ、日本らしい素晴らしい美しさを備えています。
備前焼でも、この印が室町時代より、ある一族によって伝えられてきました。
それが、名工「寺見」一門です。
寺見の印がある作品は、一級品ばかりが伝来しています。
それほど、腕の立つ名門窯元が備前にはいたのでした。
名品No.11 円座 細口花入
時代:江戸中期~後期 窯印:高台に有り
1660年代以降になると、寛永文化は徐々に廃れていき、元禄文化の華美な風潮が盛り上がってきます。
当時の磁器では、京焼の仁清や清水焼、有田の柿右衛門様式等が有名です。
その頃の備前焼は、轆轤成型の技巧や、細工物の技術が最も洗練された時代です。
その手の特徴は、端正で精密で瀟洒な作風です。
この細口花入は、そんな元禄期の中でも、初期頃に作られた作品でしょう。
花入の正面に、胡麻の斑点を一点だけ塗した意匠性が、実に優雅な景色を作り出しています。
糸目を巡らせた肌が、銅器のように輝く
土だけで実現できる技術の高さ
一見すると、銅器と間違えてしまう程、洗練された姿形です。
これが土を焼き締めるだけの備前焼で実現できてしまうのですから、当時の技術の高さには、改めて脱帽させられます。
一次成形を轆轤成型で引き、その後、表面や細部を仕上げて完成させています。
手に取ってみると、陶工の丁寧な手仕事が、今も鮮明に浮かび上がってきます。
引き継がれる「扇」の系譜
窯印が繋いだ、伝統のデザイン(続)
「扇」は、古来より伝わる日本のデザインの中でも、最も著名な図の一つです。
扇は、シンプルながらも、洗練された優雅さを備え持つ、日本らしい素晴らしい美しさを備えています。
備前焼で、この印を室町時代から繋いでいるのが、名工「寺見」一門です。
寺見の印がある作品は、一級品ばかりが伝来しています。
この扇印は、江戸前期から中期にかけて見られる窯印です。
作品だけでなく、備前焼は窯印でも、伝統を繋いでいたのです。
名品No.12 円座 蓋耳付 独楽型水指
時代:江戸中期 窯印:高台に有り
元禄調の轆轤成型技術が最も高まった、天和年間(1681-83年)前後の作品と思われる水指です。
高台に、天和期の名工と伝わる、「弥兵治」なる窯元の窯印が、押印されています。
これほど薄い作りの作品が、無傷で伝来していること自体が非常に珍しいですが、それに加えて、円座、糸目、細い耳、端正な姿形、口造り、その全てが江戸中期(元禄期)の様式を兼ね備えており、まさに、当時のマスターピース級と言える名品でしょう。
これが、大名クラスの上流階級向けに作られた、備前が誇る献上手の技巧です。
内部の景色までこだわる職人のプライド
塗り土と胡麻の絨毯に、緋襷を走らせる意匠性
献上手と言われる、上手風の雅な作の見所は、外見だけでなく中身まで、「こだわり」が詰まっています。
この作品には、口元の内側に塗り土の跡と、見込み部分に緋襷文様が施されています。
通常、水指は水を張って使われますので、見込み部分の景色を見る機会などほとんどありません。
それにも関わらず、決して手を抜かずに仕上げる。
それが、陶工のプライドなのでしょう。
磨き抜かれた高台と、名門松皮菱印の意味
完成度の高さは、「献上手」であるから
松皮菱紋の中に「本」の判印は、備前岡山藩二代藩主、池田綱政公が残した、天和頃の記録にその名が見られます。
北窯十人の筆頭、「弥兵治」です。
このヤヘイジなる窯元の作品は、高台に凹凸が一つもないほど丁寧に磨き上げられており、また献上手風の優雅な意匠性が特に際立っています。
このような作品が、実際に「献上品」とされた銘品なのでしょう。
その輝きは、銅器のような重厚な重さすら感じられます。
名品No.13 伊部掛け花入
時代:江戸前期 窯印:高台に有り
この作品は、薄い作りの雅な「掛け花入」です。
真っ黒に焼け上がった黒伊部の地肌、たっぷりと降りかかった黄胡麻、堂々とした轆轤成型痕と鋭い箆目痕。
それに、炎の通りによってできた「抜け」と、口元の「歪み」の表情など、実に見所の多い名品中の名品です。
江戸時代前期頃までは、この手のように、壁掛け型の花入が好まれましたので、当時の花入の多くには、掛けるための金具などの痕が残されてます。
また、それらの痕を埋めて、置花入に転用したものも存在します。
口元と胴の歪みは、織部様式の名残か
死後も引き継がれた、慶長期の芸術観
伊部手の土質や華奢な造形は、遠州以降の様式が反映されていますが、口元の歪みや胴部の凹み、自由闊達な焼成などは、慶長期の織部好みを彷彿とさせます。
この作品が、その過渡期に作られたものだからでしょう。
おそらく、それらの流行がまだ混ざり合っていた、寛永年間から慶安年間頃の手と思われます。
胴の轆轤目を断つ箆目痕の文様は、実に切れ味鋭く、当時の武家社会の厳しい緊張感、がひしひしと伝わってきます。
「扇」印の窯元は、江戸前期の技巧派集団
細工物の「寺見」と言わせしめた、名門中の名門
この掛花入の高台には、「扇」の窯印が押印されています。
この扇型の印を使う窯元は、古来から伊部座を仕切っていた窯元六性の一つ、「寺見家」です。
「細工物の寺見」の異名を持ち、その作品が高額で取引されるなど、当時から名門家として有名な窯元です。
流石はその「寺見」が手掛けた花入です。
実に品のある逸品でしょう。