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執筆者の写真古陶磁鑑定美術館

■茶会記を深読みするNo.7 「茶会記に残る備前焼茶道具」

備前焼は、安土・桃山時代の茶人に愛用された茶道具(茶器・茶陶)の一つです。

前回までは「建水」「水指」「花入」について検証してきましたが、今回は、それ以外の茶道具をまとめて見ていきたいと思います。その中でも主なものが「茶入・茶碗」で、その他に「香合・蓋置・鉢・柄杓立」などがあります。


「茶会記」は、安土・桃山時代~江戸時代の茶の湯の様子がうかがえる貴重な資料です。


茶会記には、茶会が開催された日程や参加者の情報だけでなく、振る舞われた料理や、飾られた花、使用した茶道具の産地、姿形等が詳細まで記されています。


つまり、茶会記を読み解くことで、当時の茶の湯の実態が垣間見えるのです。

そこで今回は、安土・桃山時代~江戸時代の茶会記に記された「茶入・茶碗・その他茶道具」に焦点を当てて、流行の推移や姿形の変遷について、深堀りしてみたいと思います。


備前焼の桃山茶陶の真実を、備前焼の茶道具から考察してみましょう。


【茶会記に記された備前焼茶入のデータ一覧と分類別】

【茶会記に記された備前焼茶碗・その他のデータ一覧と分類別】

この表(上)は、安土・桃山時代~江戸時代の茶会記に登場した茶入の一覧データとその分類別データです。また下表は、茶碗とその他茶道具の一覧データと分類別データです。


※詳細は、画像クリックで茶会記元データ(スプレッドシート下部タブ:茶入・茶碗・他)でご覧いただけます。


まずは、表の見方から解説します。


上表の見方ですが、左項から順番に、茶会が開催された「西暦」「元号」「日付」「時間」「場所」を年代順に表示しています。「出典」は、この茶会記の出典元データのことで、「席主」は茶会の亭主を意味します。「形式」は、この茶会が出典者から見て、自会(席主)なのか、他会(客)なのかを表しています。


例えば、1587年天正15年6月14日の昼に博多で開かれた茶会では、亭主を千利休が務め、神谷宗湛が客として招かれています。そこで使われたのが、かの有名な「御茶入備前肩衝ヲ白地ノ金ランノ袋ニ入、緒ツカリ紅也、利休被仰ニハ、此茶入ハホテイト申候、袋ハカリナホトニト有也」、すなわち「備前布袋茶入」です。そして、その記録が宗湛日記(神谷宗湛の記録)に残っているという意味になります。なお「記述」の項目は、茶会記に記された茶道具に関する表記で、姿形や銘などが確認できます。


1587年と言えば、豊臣秀吉が九州平定を成し遂げた年で、石田三成や黒田官兵衛(如水)に命じて、戦で荒廃した博多の町を復興させた時期です(太閤町割り)。そんな時代に、茶会記史上20年振りに、備前焼の茶入を茶席に用いて話題をさらった千利休のセンスには、脱帽させられるばかりです。


なお下表は、茶会記データを、それぞれ姿形別、年月別、時間帯別で分類したものです。


このように、茶会記を見れば、備前焼茶道具の流行や形の推移だけでなく、当時の茶人の人間関係や、茶会の時期、時間帯、場所などの時代背景まで窺い知れるので、安土桃山~江戸時代にかけての茶の湯が、実際にどのように行われていたか、肌で感じることができるでしょう。


以下に、いくつか特徴的なものを紹介します。


まず、「茶入」から見ていきましょう。前述の通り、備前焼の茶入は利休所持の「布袋」や、古田織部所持との伝承がある「さび助」など、著名な品が伝わっていることから、今ではメジャーな備前桃山茶陶の器種の一つと認識されています。しかし、茶会記上では、実は備前茶入の記述はほどんどなく、1566年から1601年までの安土・桃山時代を通してみても、合計で5回しか使われていないのが現実です。


千利休の逸話についても、素朴な備前焼の茶入に対して、それを包んでいた白地に金蘭の袋の方が目立ち過ぎるので「布袋」と名付けた、との伝承を残す程なので、地味な存在として扱われていたと想定できます。

また、1601年の後に備前茶入が茶会記に出てくるのは、1636年の寛永年間の中期です。つまり、古田織部の時代には、備前茶入は全く使われていないのです。そのため、織部の茶入の伝承は、信頼性は非常に怪しいと言わざるを得ないでしょう。


次に、備前焼の「茶碗」について見ていきます。


備前茶碗は、使用頻度や年数は他の茶道具に比べて少なく、1568年~1584年の約20年間で計9回しか使われていません。使った著名人も、荒木村重、津田宗及くらいです。備前焼は、釉薬を使わない武骨な土味の焼け肌が売りの焼き物ですが、表面がザラザラしているので、抹茶を点てる茶碗として使うと、茶筅の先が折れたり、削れたりして、お茶の中に混ざってしまうことがあるのです。


そのため、茶の湯で使う茶碗には合わなかったのでしょう。これは、適材適所という視点で見れば致し方ないことかと思われます。

最後に、「その他の茶道具」について、まとめて見ていきましょう。


まずは、「備前香合」です。備前焼の香合(お香入れ)は、1601年に古田織部によって使われたのが、最初の茶会記上の記録です。古田織部の天下であった慶長年間に入ると、それ以前までは見られなかった茶道具が次々に茶会記に登場します。備前焼の香合もその一つで、おそらくこの頃から、香合や鉢や向付等が作られ始めたと考えられます。


なお、その次に備前香合が使われたのは、1684年の江戸時代中期です。この香合の表記は、「扇形古備前香合」となっています。17世紀後半から見て「古備前」ということですので、これは、おそらく慶長期から江戸初期(寛永期)頃には作られた初期の作だと推測できます。

梅月文 扇形古備前香合 江戸初~前期頃(慶長~寛永年間) 古陶磁鑑定美術館蔵
梅月文 扇形古備前香合 江戸初~前期頃(慶長~寛永年間) 古陶磁鑑定美術館蔵

当館所蔵の「古備前扇型香合(上図参考)」も、まさに初期伊部手の手で寛永期頃の作品です。これが現品とまでは断定できませんが、おそらくそれに類する様式の香合であることは、間違いないでしょう。ずばり、いい仕事をしている逸品です。


それ以外の器種では、蓋置や鉢が使われています。これらは、皿や他の器を見立てて使ったものもあるでしょう。


このように備前焼は、建水・水指・花入のメイン道具だけでなく、それ以外でも幅広く愛用されていたことが茶会記から分かります。まさに、安土・桃山時代を代表する日本の焼き物の一つと言えるのではないでしょうか?

そんな備前焼を手元に一つおいて、当時の茶人の気持ちにふけってみては如何でしょうか?



※茶会記のデータは、下記スプレッドシートにまとめてあります。スプレッドシートURLをクリック(もしくは添付)して、詳細をご覧ください。


※コラム「茶会記を深読みする」シリーズは、原則スプレッドシートの茶会記データを使って解説します。



■■■■■■ 桃山~江戸時代の茶会記分析データ(スプレッドシート) ■■■■■■■


URL:


※画像クリックでスプレッドシートが開きます。


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