「安土桃山期」の古備前ギャラリー
明らかになった桃山茶陶の真実
名品No.1 波状文壺 種壺
時代:室町期~安土桃山期 窯印:胴に有り
この壺は、肩に彫られた波状の箆目文様から、「波状文壺」と呼ばれています。
その用途から、「種壺」とも呼ばれますが、当時は保存用の生活容器として、広く使われていた壺です。
室町時代末期から安土桃山時代にかけての侘び茶では、このような「普段の生活の中に潜む、侘びた美しさ」に注目し、それらを茶道具として取り合わせる「見立て」が流行しました。
村田珠光や武野紹鷗らの系譜を経て、千利休、津田宗及、今井宗久らの「天下三宗匠」が活躍した時代です。
自然が作り出した紅蓮の窯変
山土混じりの荒い土、だからこそ力強い
当時の茶人達は、普段使われていた生活容器から、景色の良いものや姿形の優れたものを取り上げて、茶席に使ったのでした。
織田信長は、茶の湯を武家社会の政治に利用したため、茶の湯の流行は、堺衆などの商人たちだけでなく、武士や大名などの間にも広がっていきました。
当時の備前焼茶道具は、この波状文壺のような生活容器が、水指や建水に見立てられて使われていたのです。
焼き物は、時代を超えて語る。
あばた高台が物語る、安土桃山時代の技術
絵画や掛軸は、二次元的に観ることしかできません。仏像は、三次元の造形を楽しめますが、触ったり、使ったりはできません。
その点、焼き物は、使うための器です。そのため、四方八方から見て、触って、使って、楽しみ尽くせるのです。
この高台は、あばた高台と言い、安土桃山時代の備前焼に見られる成型技術です。
当時の備前焼は、まさに「時代を超えて語る」歴史のかけらと言えます。安土桃山時代の職人の技を、そのまま味わえるからです。
威風堂々たる武士の器
450年の時を超えて、今再び甦る自然の美
備前焼は、ただ土を焼き締めただけのシンプルな焼き物です。
そのため、その器表には、生まれた時から現在までの生々しい歴史が刻まれています。
この壺は、450年間以上の歴史を、人の営みと共に、歩んできたのです。
室町、安土・桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和・・・。
これからも、私たちよりも、ずっと長くの未来を見続けることでしょう。
「窯印」があるから、景色が引き締まる
目印から鑑賞美としての刻印へ
古備前焼の窯印は、共同の大窯(共同窯)で焼いた、室町期から安土・桃山期にかけて始められたと言われています。
当時の窯印は、器表に何のためらいもなく、箆目で豪快に刻み込んでいます。
一や上や十など、時代を経た印と比べると、単純で大きな印が特徴です。
この無意識さが逆に現代に生きる私たちを惹きつけるのでしょう。
なぜか景色が台無しになるどころか、窯印がないと、物足りなさすら感じてしまいます。
古備前の価値は、もっと評価されるべき
日本文化を代弁できる焼き物
古陶と称される国産の焼き物は多くありますが、「備前焼」ほど、全時代を網羅しているものは存在しないのではないでしょうか。
美濃焼にしても、唐津焼にしても、信楽焼にしても、流行のピークでは備前焼を上回る人気を博しましたが、その流行が終わると廃れて廃窯してしまい、現在まで残っていないからです。
そんな中で、備前焼は1000年以上も炎を絶やすことなく、残っているのです。
まさに、備前焼は、日本の歴史の生き字引的焼き物なのです。
名品No.2 緋襷 波状文 建水
時代:安土桃山期 窯印:胴・見込に有り
波状文壺(種壺)の胴部を丸く、浅く、太くしたような意匠性の器です。
荒土混じりの胎土に、緋襷が紅く入っていますので、藁に巻かれ、入れ子状態で焼かれたものでしょう。
特に目を引くのが、胴の中央に堂々と彫られた「上」の窯印です。
この作品は、他に全く類品がありませんので、当時、特注品として誂えられた器=「茶陶」と考えられます。
真の桃山茶陶、その常識がひっくり返った
なぜ、桃山茶陶は幻となったのか?
桃山茶陶とは、安土・桃山時代の茶の湯で使われた「茶道具」のことです。
平成初期までは、いわゆる織部様式の、大きく歪んだり、箆目文様が入った豪快な作風が「桃山茶陶」と考えられていました。
しかし、近年の発掘調査や考古学研究の進展によって、それらが慶長期(江戸初期)の作品だと判明したのです。
それによって真の桃山茶陶は、幻の存在となってしまいました。
そんな幻の存在をついに解明したのが、この作品なのです。
桃山時代の古備前茶陶は、ほとんど建水
当時の茶会記に占める建水の割合は、8割超
安土桃山時代の茶会記には、当時の茶人達が実際に使った茶道具が記録されています。
その中でも備前焼は、千利休や豊臣秀吉や山上宗二や明智光秀など、多くの有名茶人や武将に使われていますが、なんと、その品目のほとんどが「建水」なのです。
その割合は、実に8割以上です。
つまり、桃山茶陶と言えば、備前焼では「建水」のことなのです。
それが、桃山茶陶の真実です。
見込みの窯印は、特注品の「証」
桃山茶陶の見込みに残る印の意味とは
安土・桃山時代の備前焼茶陶は、建水がほとんどでしたが、それらは、主に種壺や甕などの生活容器が見立てられていました。
そのため、茶道具として誂えられた備前建水は、非常に稀で貴重な存在です。
この古備前建水には、見込みにも作者(または注文主)の印が入れられています。さらに、緋襷文様を施すなど、景色に配慮が配られていることが分かります。
これらのことから、この作品は、最初から茶道具として特注された器だと判断できます。
黒い鉄分の染みと、藁の跡が残る高台
武士の胡坐 桃山茶陶の「高台」を堪能する
貴重な、緋襷焼成の桃山茶陶の高台画像です。
作品に巻かれた藁の跡がはっきりと残っています。
器表に現れた黒い斑点は、鉄分が染み出たものです。
まるで戦国時代の武士が、どっしりと胡坐をかいているような、そんな豪快さが感じられます。
赤黒い紅蓮に染まった焼け肌も見事な景色です。
唯一無二の名品 最古の火襷建水
古備前茶陶史上、最も注目すべき逸品
安土・桃山時代の古備前焼で、茶道具として作られた作品自体が非常に珍しく、伝来品はほとんどありません。
そんな中でもこの作品は、緋襷文様や見込の窯印まで施された特注品と言える品であり、唯一無二の古備前建水です。
まさにこの作品こそが、明智光秀や豊臣秀吉や千利休が愛用した、「古備前 桃山茶陶」なのでしょう。
一体どんな茶人の手を渡って来たのか?想像するだけでワクワクしてしまいます。
名品No.3 平建水 平水指
時代:安土桃山期 窯印:高台に有り
この作品も、安土桃山期を代表する古備前茶道具の定番型です。
定番と言っても、伝来数は非常に少なく、これほど無傷で完品級の逸品は、5つと存在しないでしょう。
これは「平」または「広口」と呼ばれる器で、水指や建水として使われました。
端正で質素な姿形であることから、生活容器を転用した見立て道具であるとの意見もありますが、焼成具合や器表の丁寧な仕上げ具合からは、これが茶陶専用品であることを彷彿とさせます。
胡麻、重ね焼き、轆轤目だけの景色で魅せる
自然の窯変だけで仕上げる、それが桃山茶陶
桃山茶陶の土肌は、胡麻、重ね焼きによるグラデーションの窯変、焦げ、緋襷、成型痕など、土と炎が織りなす造形だけで、実に様々な景色が生み出されています。
しかも、それらの景色が互いに主張し合ったり、喧嘩し合ったりせずに、見事に調和して、一つの作品を完成させているのです。
その完成度の高さの裏には、極限まで突き詰めた努力の結晶があったからに他ならないでしょう。
当時の陶工の技術と意識の高さが作品を持つとズシリと響きます。
姿形と口元で分かる、器の作製年代
矢筈口と、合子形から当時の様式を鑑みる
この器は、いつ頃作られた作品なのでしょうか?
古備前焼でなくても、古美術を愛好する数寄者や茶人の方であれば、自然と気になってしまうことだと思います。私たちも、そうだからです。
この器では、口元を内向きに曲げる「矢筈口」型の成型と、「合子形」の姿形から、想定することができます。
これらの意匠性が、天正年間の後半から慶長年間の初期にかけて流行しているからです。つまり、この作品は、桃山時代の後半から末期に作られた器だと、想定できるのです。
乾坤一擲 宿る、武士の面影
器には「正面」がある
茶陶は、器の正面を意識して作られている事をご存知でしょうか?
お茶道では、お茶碗を回して飲む作法が有名ですが、あれも、茶碗の正面に口を付けない配慮からなされたものなのです。
つまり、茶の湯では、器の「正面」を意識して、茶道具を使っているのです。
もちろんこの器にも、「正面」が存在します。
正面から茶道具を眺めると、その存在感に一瞬心を奪われてしまいます。
正面があるから、底も意識して作られる
高台はただの底でなく、器の表現の一部
焼き物の底部は、「高台 こうだい」と言います。
安土桃山時代以降の備前焼の高台には「窯印 かまじるし」と呼ばれる、作者(注文主)のサインが刻印されたものが多く存在します。
窯印は、時代を経るにつれて小さく、目立たない場所に押印されるようになりますので、この作品は、前掲の緋襷建水よりは、新しい時代の作品だと判断できます。
窯印を通じて、桃山時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
伝わる来歴、伝える伝承
箱書きに詰まった「茶人」の生き様
安土桃山時代から伝承している桃山茶陶の中には、有名な茶人や大名が、使用したり、所持したりした立派な来歴のある名品が存在します。
それらの来歴や伝承のある付属品は「次第 しだい」と呼ばれ、器を収納する箱や掛け軸として残されています。
この作品には、茶会でこの器を見た客が、「かがみ餅」という銘と花押を残しています。
人の人生よりもずっと長く存在し、これからも伝えられていく器の伝来を愉しむのも、数寄者の醍醐味です。